ちぐさのひとりごち

流されるがままに生きてきた人が想うことをたまーに書きます。

部屋と何とかと何とかとか思っちゃうのは、オッサンだから。

今週のお題「わたしの部屋」


先ずは「わたしの部屋」とは何かから考えてみました。「わたし」が暮らす家とも、主に暮らす場所とも、これまでに暮らしてきたそれとも言えそうですので、先ずはそれらを全て思い返してみました。なお「わたし」の定義から考えると訳が分からなくなりそうなので、そこは置いて、素直に今回は「部屋」にフォーカスしてみます。


「わたし」はこれまでの三十余年の人生の中で、17回の引越しをしました。その都度自分の部屋が変わってきたのだと思うと、広義での「わたしの部屋」は既に18個(重複カウント有)あったことになります。ただ、小さい頃は間取りの都合上親や妹と共同部屋でしたし、思い起こせる限り、狭義での「わたしの部屋」は11個(同)で、重複を排除すると8箇所だったようです。


そんなわたしの部屋を初めて手に入れたのは4軒目、小学4年生の頃、父が建てた家に越した時でした。人生で初めて秋葉原に連れていかれ、兄弟各々、自分の部屋に設置する照明や掛け時計などを、自分で選んで良いと言われ、ヤマギワで悩みながら一生懸命選んだのを覚えています。当時はその帰りにガード下の店で買ってもらった、ワゴンには入っていたナムコさんのファミリーピンボールの方が嬉しかったりした親不孝者ではありますが、今でもよく覚えています。かげきよ無敵。秋葉原が好きになったのはきっとあの時です。


あれから20年ほど経ち、中古ではありますが戸建てを買い、結婚してからは一度もわたしの部屋は得られていないかわりに、わたしの名義の家と庭を手に入れました。何か懐かしく感じたのは、上述の照明を選んでいた時の自分を思い出したからなのでしょうね。自分の選んだ物で、自分の物にしていく感じのワクワク感だったのかもしれません。


そもそも人生には意味など無いのですから、身の回りのもの、衣食住くらいは、自分が良いと思える物で暮らして行きたいものです。そういう意味で、部屋は楽しんで生きるためのツールなのでしょう。何年も味わっておりませんが、少しくらいはわたしのものとして楽しみたい物だなと、今更ながらに思いました。