ちぐさのひとりごち

流されるがままに生きてきた人が想うことをたまーに書きます。

蕎麦屋のカツ丼と私

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こちらの増田を拝見して書かずにはいられなくなったので、
推敲もせず書きなぐることにした。

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学生時代通った馴染みの蕎麦屋があった。
いや、今もその店はまだある。
ただ、中身は完全に変わってしまっている。

都内某区、山手線の内側に位置し、
路面電車駅すぐ傍のその店の真上に、当時私は住んでいた。

そう、蕎麦屋はマンションの1階にあった。
元の地主はその蕎麦屋の主(あるじ)だったと、後に知った。

私はその店のカツ丼が好きだった。
金の許す限り、週に何度も食べた。
それくらい好きだった。

最近、そのカツ丼が、
三島由紀夫が自殺前に最後に食べた」等と
言われているほどのものと知った。

確かにとても美味かった。
あの味を超える物には巡り合えていない。
しかしもう、味わうことはできない。
今、あの店で食べられるものは、当時の味ではない。

大正八年創業と大きく銘打つようになったのも、
歴史話が出るようになったのも、実はここ十年ほどの話。

以前はあまり綺麗とは言えない古臭い店で、
学生は新歓コンパなどによく使っていた。
伝統などアピールせずとも、いつもそこにあった。
おばちゃんは優しく、おじちゃんは老いた身体で、
腕をプルプルさせながら天ぷらを揚げていた。
しかし、経営は苦しかったようだ。


元々バブル期に調子にのって土地に手を出し、経営を傾かせ、
借金のカタに店も土地も取られてしまっていたと聞く。
だが、土地を買った側が温情で、主の家族に店を経営させ、
マンションの一室に住まわせていたようだ。

しかし、主一族が売上をごまかしていたらしく、
怒りを買って追い出されたらしい。

暫く店は閉じ、再び開店した時には、
店は綺麗になり、経営者も料理人も変わり、
品ぞろえは増え、伝統を表にアピールし、
その後客はとても増えた。

 

しかし、あの味は無くなった。


きっと一生味わうことは無いんだろう。
死ぬ前にもう一度、あのカツ丼が喰いたいな。