ちぐさのひとりごち

流されるがままに生きてきた人が想うことをたまーに書きます。

社会に出てからの卒業についての考察

先週のお題「卒業」


歳が。

業を卒すると書いて卒業ですので、最近会社を辞めていく同僚達を見送る時も、この言葉が合うのではないかと最近よく思います。亡くなっているわけでは無いですけどね。でも居なくなる感じが、見送る側には半ば死のようにも感じられるものです。

ただ、学業ならば学位などを得ることによる終了と確実にその成果が形として残るのですが、勤め先を卒業する時、自分の身に残るもの、得たものをしっかり自信を持って、言えますか?

もし会社を辞めたいと思うことがあったら、上を考えてみると良いと思います。得ることが無い場所なんてありません。例えそれが人を酷使するだけで何も与えてくれない場所でも、どんな扱いが人にキツイ想いをさせるのか、ヤバイ上司とはどういうものか、などの知見を貴方に与えてくれているはずです。そして、それが自分にとって学位と同等の価値があり、次に活かせると信じられるなら、辞めても良い時かもしれません。でも、まだ学べることがあるのなら、無理に転ずる必要も無いと思います。

こんな感じで社会に出たら、卒業時期や卒業に必要な単位数も自分で決められるんです。ゴールや目標は誰かが与えてくれるものではありません。作れないなら作れるようになることを最初の目標にすれば良いです。

人生楽しむために、人生の楽しみ方というルールを、自分で決めるところから、始めてみませんか?という、よく分からないお誘いを、読んでくださった全ての方へ。

僕が勝手に友人と思っている元同業で同時期の戦友さんである id:colopon さんのエントリーを読んで、先週のお題を残したままだった事を思い出し、何となく脳汁から溢れ出る文字をそのまま書き留めただけの駄文でした。失礼いたしました。おしまい。

みやこの西北ワセダのとなり

今週のお題「好きな街」

バカ田バカ田バカ田〜。

学生時代から社会人になり転勤になるまで都営荒川線の都電早稲田のあたりに住んでいました。文字通りワセダの隣らへん。

山手線の内側とはいえ、最寄が路面電車駅、地下鉄やJR私鉄までは20分程度の徒歩が必要で、文京区と豊島区と新宿区の区境が入り組んでいる、何かちょっとした隠れ辺境のような場所で、自然もとても豊かな情緒あふれる街でした。神田川の桜並木を眺めながら一杯ひっかけたり、椿山荘の庭や新江戸川公園を散歩したり。未だに銭湯があり、ふらっと入りに行ったり。かぐや姫さんの神田川の銭湯ってここかなーなんて思ったり。

利点は、駅は遠いのですが実は都営バスの営業所が近いので、新宿上野までは乗り換えなしで行けるし、都電で池袋大塚あたりもふらっ行けるという、アクセスの良さが実は隠れた魅力です。不動産情報にはあまり出てこないですけど。都バスを使いこなすようになるととても便利です。定期を持つと区間制限なくどこまでも乗れるのも良かったです。

そういえば歩いて池袋に向かい、雑司が谷鬼子母神あたりをうろつくのも楽しいです。京極堂の姑獲鳥を読んでから行けばなお楽しめます。ずっとアクセスが悪くていい具合に手付かずだったのですが、副都心線が出来て少しは変わっちゃったんですかねー?

学生街の近くなので飲食店や弁当屋は安くて量の多いお店が多く、かなり外食には不自由しなかったです。まぁ、味はお店によりけりですけれど。個人的にはおでん屋さんで樽酒頼んで塩をマスの先に乗せ、おでんを食みながらチビチビやるのが幸せでした。

今は四ツ谷に移ったそうですけど、住んでいた頃は元祖一条流がんこの総本家も近くにありました。最初は何が美味しいのかさっぱりわからなかった悪魔ラーメンも、気付いたら週に一度食べたくなる不思議な食べ物でしたね。土曜日のスペシャルは毎週楽しみにしていました。

そこのオヤジさんも絶賛していた面影橋の栄家という蕎麦屋の中華そばが異様に美味くて、それこそ文字通り連日食べに行ったりしましたね。あの透き通ったスープとふんわりしたチャーシューは一生忘れない。もう閉店しちゃったそうで、残念です。あの味をまたどこかで食えないものかと。

食い物の思い出ばかりになってきた…。いかんいかん。

これから学生になられる方や、東京の西側に通勤することになった方には、おすすめの地域です。家賃も近隣に比べると少しお安いですし。候補にされてみてはいかがですか?

部屋と何とかと何とかとか思っちゃうのは、オッサンだから。

今週のお題「わたしの部屋」


先ずは「わたしの部屋」とは何かから考えてみました。「わたし」が暮らす家とも、主に暮らす場所とも、これまでに暮らしてきたそれとも言えそうですので、先ずはそれらを全て思い返してみました。なお「わたし」の定義から考えると訳が分からなくなりそうなので、そこは置いて、素直に今回は「部屋」にフォーカスしてみます。


「わたし」はこれまでの三十余年の人生の中で、17回の引越しをしました。その都度自分の部屋が変わってきたのだと思うと、広義での「わたしの部屋」は既に18個(重複カウント有)あったことになります。ただ、小さい頃は間取りの都合上親や妹と共同部屋でしたし、思い起こせる限り、狭義での「わたしの部屋」は11個(同)で、重複を排除すると8箇所だったようです。


そんなわたしの部屋を初めて手に入れたのは4軒目、小学4年生の頃、父が建てた家に越した時でした。人生で初めて秋葉原に連れていかれ、兄弟各々、自分の部屋に設置する照明や掛け時計などを、自分で選んで良いと言われ、ヤマギワで悩みながら一生懸命選んだのを覚えています。当時はその帰りにガード下の店で買ってもらった、ワゴンには入っていたナムコさんのファミリーピンボールの方が嬉しかったりした親不孝者ではありますが、今でもよく覚えています。かげきよ無敵。秋葉原が好きになったのはきっとあの時です。


あれから20年ほど経ち、中古ではありますが戸建てを買い、結婚してからは一度もわたしの部屋は得られていないかわりに、わたしの名義の家と庭を手に入れました。何か懐かしく感じたのは、上述の照明を選んでいた時の自分を思い出したからなのでしょうね。自分の選んだ物で、自分の物にしていく感じのワクワク感だったのかもしれません。


そもそも人生には意味など無いのですから、身の回りのもの、衣食住くらいは、自分が良いと思える物で暮らして行きたいものです。そういう意味で、部屋は楽しんで生きるためのツールなのでしょう。何年も味わっておりませんが、少しくらいはわたしのものとして楽しみたい物だなと、今更ながらに思いました。

祭りについて雑感

今週のお題「バレンタインデー」

そもそもバレンタインもまだ流行り始めてから50年程度しか経っていないそうで。私からすれば生まれた頃から存在するイベントで、カレンダーにも書かれている事すらあると思うと不思議なものです。

日本におけるキリスト教文化の曲解と展開はクリスマスを始めとして面白い形だと誰しもが感じることと思いますが、バレンタインの場合は謂れを紐解くともはやその存在すらも創作の可能性がありバレンタイン氏の実在すらも危ういとあって面白いですね。北米の小学校では全生徒がクラスメイト全員にメッセージを添えてチョコレートを配るよく分からない博愛イベントですので、それに比べればなんとか恋愛に近い形でイベントになっている日本は商業的かつ義務的とは言え未だ原則に近いところにあるのかなと思います。

まぁ、それを言ったら米国におけるハロウィンやそれを更に曲解して取り込んでいる日本とか、最早祭りとしての機能は形骸化していて、本来の趣旨は失われているわけでして。

とはいえそれを掘るとそもそもキリスト教文化どころか日本における祭りや習慣も、宗教の有無を問わず最早何故それをやっているのか分からなくなっているものも多いわけで、正月の祝いと旧暦の正月を祝うアジア圏の皆様との差もそんな風に見えているのかなと思うと不思議な気分です。結局ヒトというものは何らか理由をつけて活動することに意味を持たせ、他と同様の活動をし比較して相対的な位置を確認して満足するだけの生き物なのでしょうね。

今年も義理で幾つか頂戴しましたが、職場での年次が上がるにつれお返しのレベルを気にしなければならないのが家計には若干厳しいもので。ですので、そろそろまた、イベントとしての在り方を概念から変えるべきかもですよ。変わったチョコを食べられるのは嬉しいのですが……

21世紀初頭のコンビニバイト

今週のお題「20歳」

20歳くらいの頃何をしてたかなと暫く記憶をほじくり返しては埋める作業を繰り返していたところ、ふと当時1番時間を使っていたのはコンビニでのバイトだなと思い出したので、その思い出を少し書いてみます。

大学入学後暫くして通学電車に耐え切れずに一人暮らしを始め、家賃以外は自分で稼ぐ約束だったので、既に始めていた家庭教師と並行してコンビニで夜勤のバイトを始めました。

オープニングスタッフで潜り込んだ新宿区内の某駅近くの店は、開店当初は夜勤スタッフが4名居たはずですのにズルズルと入っては抜けを繰り返し、一時は2人で回していた時期もありました。時給1,000円なのにその頃のバイト代は月20万を超えたりしていたのですが、かなりお金遣いも荒かったかなと。それに加えてサークル活動にバンドのヘルプにネトゲに…今思えばいつ学校に行ってたのかなぁと。

そんな日々の中、コンビニ店員としてなかなか普通に生きていたらすれ違うことの無い人々と出会い、触れ合う機会がありました。幾つか思い出せたものを書いてみたいと思います。

1) エクストリームアウトドア派な人々

近隣に大きな公園がありまして、また目の前から工事現場に日雇いで連れて行く集合場所があったせいもあり、青いテントに住む所謂ホームがレスな方々が多く訪れるコンビニでしたので、色々なことがありました。日雇いから帰ってきて握りしめた1万円で女性用の下着を買うおっちゃんとか(食い物買おうぜ?)、ポッケに商品をナイナイしてレジで別の商品を精算に出して満足気に誤魔化せてると信じてるおっちゃんとか(おっちゃんポッケの中の物持って出たいなら出してー買うお金無いなら戻してーと伝えたら素直に出してくれた)、もう何年風呂入って無いんだろうってくらいな風貌と香りで靴にビニール袋巻いてるおっちゃんとか、借金抱えて事業手放して嫁さんが風呂に沈んでて俺は根無しで日雇い労働さーなんて身の上を語ってくれたおっちゃんとか。また彼等の一歩手前にいる人が何時間も店に居座り、出る前に紙袋にごそっと入れて出て行って慌てて止めたり。別の公園で毎週炊き出しがあるからその曜日はみんなで行くとか、俺は群れるの嫌いだから我慢してるとか。夏は公園の水道で身体洗えるけど冬は辛いから臭い奴が多いなんて自己申告を受けたりとか。あの仕事をしなかったらあんなに身近に、地続きで、隣り合わせの世界があることも、その人達がどんな生活をしているかも、知る事は無かったと思いますし、知ったからこそ踏み外す怖さを感じることができているのだろうと思ったりします。

2) アンチソーシャルコミュニティなみなさま

場所柄多くいらしてて、特にお世話になった方が、元々かっちりした髪型にカッコいいスーツの着こなしで、紳士に振舞われていたダンディなお兄様で、たまに深夜に酔って帰られる途中にお寄りいただいて、たこ焼きを頂いたりなどと可愛がって頂いていて、なんかアナーキーで素敵だなーと密かに憧れたりもしていたのですが、ある日宅配便をお持ちになられて「社長が急に入院することになっちゃったから着替えを送るんだ」とお預かりしたお荷物の宛先が○○拘置所…。そうなんですね(入院って表現するんだ知らなんだ)、大変ですねぇなんてたぶん側から見たら引き攣った笑顔で当日配達というシステムを説明し承りまして候。その後は困ったことあればすぐ言えよなどと優しいお言葉を掛けて頂いたりしたのを覚えております。特に上のお方々はとても丁寧で、堅気には迷惑はかけない。筋をしっかり通す。恩義は大事にされるということなんだなとその頃とてもよく理解しました。その代わり、逆の事をすると絶対にダメだということもその時期に学ばせて頂いたように思います。本当にお世話になりました。改めて厚く御礼申し上げます。

3) その他のミッドナイトカスタマーのみなさま

翌日に国際展示場の一大イベントを控えた日には深夜にお越しになられてコピー機で印刷を頑張られる方もいらしたりしてました。紙がちょくちょく切れますので補充を適宜させて頂いてるうちに、お話をさせて頂いたり、製本のお手伝いをさせて頂いたり。たまに原稿を忘れていかれる方もいらっしゃったり、私自身は絵も描けませんのでこちらも貴重な体験をさせて頂いたなぁと思います。そのうちのお一方からはいつぞやお手紙と映画の券を頂いて、お誘いを頂いたこともありました。当時は良い人が居たのでお断りしてしまいましたが、あの時ご一緒していたらどうなっていたのかと、今ふと思います。無いですけど。そういえば当時大ブームだったモー娘。の方も数名でご来店頂いたことがありました。近くに撮影スタジオがあったらしいです。芸能人さんだと後はチューヤンさんにはサインをお願いしたら快く対応下さったりしました。とてもいい人でした。あとは一般の方で毎朝早朝に合成酒の紙パックを3つ買って、1つはその場で飲んで行くお客様とかもいましたね。今思うとそういう病気の方でしたが…何もしてあげられなかったことが悔やまれます。

書き出していくとキリがないですが、コンビニのお客様の層は幅広く、どんな方にも精一杯の接客を心がけていると、色んなコミュニケーションを取ることができました。仲良くなって頂いたかたも少なくなく、なぜか一緒に鍋パーティーしたお客様とか、夜のお仕事の方にフグをご馳走になったりとかもありました…。当時あまりにも良く店にいたので社員だと思われていたお客様もいらしたようだと後に知りましたが、覚えて頂けていただけでも、やった甲斐があったなと。生活のための仕事が、人生の大きな勉強になったなぁと、思います。雇って頂いたオーナーと店長、一緒に働いてた同僚、そして全てのあの時のお客様に、感謝。ありがとうございました。

今週のお題「今の仕事を選んだ理由」

今週のお題「今の仕事を選んだ理由」

通勤中に暇を持て余したので書いてみます。

概要

今の仕事は2社目なのですが、選んだ理由は幾つかあります。箇条書きすると以下の通り。

  1. 学生時代学んだ事を少しでも活かせる
  2. 独立企業である
  3. 自分が好きな物を取り扱っている

うん、陳腐。しかも実は逃げの選択。誰かの役に立てば良いなと思い、簡単に書いてみます。

1.学生時代学んだ事を少しでも活かせる

前職はSEなんぞと呼ばれていましたが本当のところはオペレーターで、主な仕事はUNIX系Webサーバの運用管理保守並びに技術サポートでした。Apachesendmailなんかの設定をしたり変えたり、サーバが落ちたらアラート上げてお客様に障害連絡を出したり復旧させたり。ネットワーク周りの知識もつきました。インターネット好きの自分にはなかなか楽しい仕事でした。夜勤ありで手当も厚く給料も初年度から400万を超えており、けしてブラックとは思わない、悪くない環境でした。鯖缶をするのにはそれなりの学習で十分で、簡単なスクリプトを書いて仕事の楽をし始めた頃にふと、このままで良いのかと不安になりました。先輩に相談したら技術を磨けと言われ、言われるがままにphpperlをいじり始めましたがあまり伸びず。お恥ずかしい話ですが、今思うと目標設定が上手くできておらず、どう努力していいか分からなくなっていたのだとわかります。しかし当時は悶々としたままこのままではマズイなと思い、逃げの気持ちから学生時代に学んだことが使える環境を…等と考えました。紆余曲折はありましたが結果として、基礎知識として学んだ事を活用できる仕事を選べました。しかし、役には立つものの、別にいつから勉強しても一緒でしたし、勤め始めてから学んだことの方が遥かに多く、今ではそこまで気にすること無かったなぁと思っています。

2. 独立企業である

前職では自分は大グループ企業の末端の1オペレーターに過ぎず、学生時代の同期や先輩が親会社や派遣先に勤めていたり、自分の上司は会社形態の違う時代の採用の方だったり、5年目の先輩が同じところで似たような仕事をしていたりと、自分のキャリアパスや未来にどうも明るいものが描けず、悶々としておりました。その反動か、採用区分や出自だけで結果の決まらない親会社的な立場の会社か、シンプルな独立企業が良いなと考え、今の会社を選びました。少なくとも今の環境にはとても満足しています。

3. 自分が好きな物を取り扱っている

これは新卒採用の時にも目標にしていたのですが、やはり自分が好きなもの、自分が良いと思うものを取り扱う企業が良いなと考えていました。シンプルですが、自信のあるものであればそれを推すための努力も、広げるための努力も惜しまずにできます。自分自身そう信じられるからこそ頑張れると言うか。今思えば浅はかではあるのですが、実際にはこれが今でも一番効いていて、どんな時でも踏ん張れる、仕事が楽しめるのはやはり好きなものを世界に届けるためなら、その仕事自体を楽しめる部分があるかなと、そう思っています。

まとめ
そんな訳で今の仕事に移り、だいぶ経ちました。そこそこの責任や部下も与えられ、当初思っていたよりもずっと楽しく仕事ができています。前職の時の経験も活かせる事が多く、少し遠回りはしましたが良い結果になっているかなと思います。

「このマンガがすごい!2016」について

気付いたら時間が過ぎ去ってた…割にブコメはちまちましてます。ご無沙汰しておりました。すみません。

Webのちゃんとマンガを読んでいる勢の皆様は、順当すぎるくらいメジャーどころだと仰ってますが、「ダンジョン飯」はともかく「ヲタクに恋は難しい」は、結婚して6年まともにヲタク活動ができていない35歳男子会社員のひっくいアンテナには全く持って引っかかっておりませんでしたとも。さっきpixivで読んで面白かったからKindleで買おう。と言うわけで二作とも読んだことない人は読んでおくといいと思います。

ヲタクに恋は難しい: 1 (comic POOL)

ヲタクに恋は難しい: 1 (comic POOL)

 

PIXIVはこちら。

【オリジナル】「ヲタクに恋は難しい」漫画/ふじた [pixiv]

あと、ダンジョン飯はたまにKADOKAWAさんが恐ろしい安値でKindleのセールをするので、そのタイミングで買うことをお勧めしますが、とりあえずリンク貼っときます。

アフィアフィ。