ちぐさのひとりごち

流されるがままに生きてきた人が想うことをたまーに書きます。

社会に出てからの卒業についての考察

先週のお題「卒業」


歳が。

業を卒すると書いて卒業ですので、最近会社を辞めていく同僚達を見送る時も、この言葉が合うのではないかと最近よく思います。亡くなっているわけでは無いですけどね。でも居なくなる感じが、見送る側には半ば死のようにも感じられるものです。

ただ、学業ならば学位などを得ることによる終了と確実にその成果が形として残るのですが、勤め先を卒業する時、自分の身に残るもの、得たものをしっかり自信を持って、言えますか?

もし会社を辞めたいと思うことがあったら、上を考えてみると良いと思います。得ることが無い場所なんてありません。例えそれが人を酷使するだけで何も与えてくれない場所でも、どんな扱いが人にキツイ想いをさせるのか、ヤバイ上司とはどういうものか、などの知見を貴方に与えてくれているはずです。そして、それが自分にとって学位と同等の価値があり、次に活かせると信じられるなら、辞めても良い時かもしれません。でも、まだ学べることがあるのなら、無理に転ずる必要も無いと思います。

こんな感じで社会に出たら、卒業時期や卒業に必要な単位数も自分で決められるんです。ゴールや目標は誰かが与えてくれるものではありません。作れないなら作れるようになることを最初の目標にすれば良いです。

人生楽しむために、人生の楽しみ方というルールを、自分で決めるところから、始めてみませんか?という、よく分からないお誘いを、読んでくださった全ての方へ。

僕が勝手に友人と思っている元同業で同時期の戦友さんである id:colopon さんのエントリーを読んで、先週のお題を残したままだった事を思い出し、何となく脳汁から溢れ出る文字をそのまま書き留めただけの駄文でした。失礼いたしました。おしまい。