ちぐさのひとりごち

流されるがままに生きてきた人が想うことをたまーに書きます。

貴方にも存在するかも。脊髄腫瘍 顛末記。

■はじめに

首の骨の中で、脊髄に腫瘍が見つかり、切除して貰ってきました。

Web上ではそこそこ体験記がありますが、はてな村では検索してもあまり見かけないようですし、手術から半年経ち、大分心も落ち着きましたので、これを機に、同じ「脊髄腫瘍」と診断をされたり、同じ症状を持っているけどまだ気づいていない誰かの役に立てば良いなと思いまして、徒然と書いてみることにしました。

 

■私の病名

脊髄腫瘍(頸部 C6-7 右側)
・硬膜内髄外腫瘍
神経鞘
脊髄腫瘍の中でも、一番軽い奴でした。(写真の白いところ)

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■どんな病気か

脊髄腫瘍は10万人に1人程度の発症率だそうで、脳腫瘍よりも少ないらしいですが、当たり前ですけど誰でも持っている可能性があるそうです。

脳からの命令は神経を通じて身体に行きます。また、痛みなどは神経を通じて、脳に届きます。この病気は背骨の中にあり脳から直接つながっている「脊髄」という大きな神経の脇に、腫瘍ができて、邪魔をする、というものです。

背骨の中で脊髄の通る管(脊柱管)は狭いので、腫瘍が大きくなるにつれて脊髄を圧迫し、ペラペラに潰してしまいます。そうなると神経の通信が正常に行われなくなり、以下のように色々なエラーが起きるそうです。

1)怪我など無いのに痛い
2)動かそうとしても動かせない
3)感覚が無くなる …など

また、背骨のどこにできるかで、症状が変わるそうです。私の場合、首の中に出来ていましたので、首の凝りから始まって、発覚直前は「何故か判らないけど背中と右腕の裏側が痛い」でしたが、これは首の骨(頸椎)の7番目から出ている神経に支障がある場合に発生する痛みなんだそうです。腰の場合はいわゆる「坐骨神経痛」にと同じような症状が出たりもするそうです。

私と同じパターン(神経鞘腫)の場合は、生まれつき実は神経が腫瘍になっていて、1年に0.数ミリずつ成長していき、20代後半~50代くらいで脊髄が圧迫されて発覚するそうです。

実は中学生くらいからクビが凝るようになって、高校からはちょくちょくマッサージに通ったりしていたので、そのころから徐々に圧迫はあったんではないかと、今では思います。大学の時に酷く傷んで整形外科に行った時は、レントゲンだけ撮られて「ストレートネック」という診断でしたし、人によっては立てなくなったり、尿が出なくなっ
たりして気付くそうですので、今回私が気付けた経緯はラッキーの部類だったんだろうと思います。

神経は死んでしまうと戻らないそうで、基本的には悪化したらそのままになってしまいます。この腫瘍を取る手術は、あくまでもこれ以降の進行を防ぐものでしかないそうです。ですので、思い当たる症状がある方や、以下に書く長ーい体験記を読んで、あれ?と思われたら、一度整形外科を受診されて、症状を話して頂く事をお勧めしたいと思います。

では、実際に私が体験した内容を。

 

■つれづれ顛末記
(1)発覚
自宅の階段で足を踏み外し、軽く尻餅をつきました。
すると、なぜか打ったわけでもない背中から右腕がジンジンと痛くなりました。

まぁ、我慢できるレベルでしたので普通に生活していたのですが、出張で新幹線に乗ったところ、その振動で異様に痛みが酷くなり泣きそうになりました。また、首を回すと痛みが増すことに気付きました。そこで仕方なく、次の平日に半休を貰い近所の整形外科へ行きました。その時点では、症状を検索し、首のヘルニアとかかな?などと想像していました。

レントゲンを取られ、首や肩を触られた後に、その足で近所の検査専用病院に、MRIを撮りに行くよう言われました。半休を全休に変えてもらい、撮影して整形外科に戻ったところ、翌日に大学病院に行くように、と。理由を聞くと、首の中に何か影が映ってるとのこと。

フィルムと紹介状を渡されて、翌日も全休をもらい、近所の大学病院へ。予備診断で若い先生に握力を測られたり腕や手の力を試されたりしました。その時初めて、右手が左手より弱くなっている事を知りました。その後、長い事待たされて診察へ。持ち込んだフィルムを見られてすぐに先生に言われたのは以下の通り。

「あぁ、これは手術しなきゃダメだ、早い方が良いけど緊急ではない」
「先ずは正確な場所と内容の把握のために造影MRIを撮影しよう」

(自分の心の中の声)…まじかよ。

その時の説明で理解したのは以下の通りでした。

・首の骨の中に腫瘍がある。脊髄の外にある。
・硬膜の中か外かは画像が粗いので判らない。造影剤入りで判断する。
・原因は判らないが、こういった場合生まれつきのことが多い
・この先生に依頼すると、早くて依頼から3か月後になる
・ただし、立てなくなったら緊急手術。
・手術は腫瘍摘出+椎弓形成術のため、術後3か月は首を動かしてはいけない

…それは流石にきついなぁと思いながら、翌月に造影MRIの撮影を予約しました。

 

(2)検査~転院
病院の都合で上記の翌月に、造影剤を注射されてのMRI撮影をしました。撮影後に診察があり、入院・手術の意思を確認されました。

この時点で妻とは既に話していて、どうせ切るなら出来る限り脊髄腫瘍の手術例の多い病院が良いと決めており、紹介状を書いて頂き、その日のうちに別の大学病院に予約電話をしまして、その翌週にはその病院へ。

初回は外来初診扱いで、予備診察をされ、翌週に主治医の診察を受け、説明を受けました。この先生は椎弓形成術ではなく、椎弓切除術で行うため、入院期間や不自由な期間が大分短いことを理解しました。その時点で執刀を依頼・快諾頂き、手術の申込みを行ったことで、待機リスト入りとなりました。また、同日には全身麻酔・手術が可能かの健康診断を受け、入院申込みの手続きを一通り行いました。

手術待機というのも初めての経験でしたが、飛行機のキャンセル待ちと同じこと、と説明され納得しました。正式な日次は空きが出次第、順番待ちで埋めて行く形になります。最大で3か月待ちと言われ、病院からの連絡を待ち続けました。

 

(3)入院
2か月ほど経ったある日のこと。
手術日の1週間前に急に大学病院から電話が入りまして、来週のスケジュールが空いたが手術を受けるかと聞かれました。また、手術を受ける場合は週末までに入院してほしいとのこと。急だなぁとは思いましたが、事前に職場とも話していたので、即日OKし、手術日が決まりました。

手術を含め1ヶ月以上のお休みを頂きますので、丁度年度末直前ということもあり、部下の評価面談などを、前倒しで行わせて頂いたり、ギリギリまで引き継ぎにバタバタし、ほぼ連日深夜残業。入院準備は妻任せでした。ありがたかったです。

金曜日に入院し、その日のうちにCT撮影を受け、手術前の細かい説明を受け、理解したと署名をしました。土日は病院の理容室で後ろ髪を剃り上げられた以外は、することもなく、それまでの仕事の疲れをゆっくり寝て癒しました。もちろん、手術の事を気にはしていましたので精神的には落ち着けず、本当に癒されていたかは分からないですけれど(苦笑

病院の食事は「常食」。つまり一般食でした。よくよく考えたら消化器には支障無いわけですし、なるほどとその場ではすぐ納得しました。ただ、その時は考えもしませんでしたが、あとでシンドイ思いをするのですけど。なお、お味は大学の学食レベルでそこそこ食べれました。病院のご飯であれなら、美味しい方だと思いました。

そうして手術の日を迎えました。

 

(4)手術
週が明けた月曜日が手術の日でした。
当日は朝から絶食。水も飲んじゃダメ。

昼前に生まれて初めて浣腸されました。あれは我慢するの辛いですね。僕は苦手です。その後全裸の上に手術着を着て、点滴を刺され、病室のベッドで待機します。待機中に妻の家族が来てくれて、少しお話をして、妻のことを頼みました。

その後、自分の前の人の手術が終わると声をかけられ、歩いて手術室のある棟の入口まで行きました。入口で家族と別れ、生年月日と名前を確認され、動くベッドに乗せられて、手術室の中に連れて行かれます。

部屋や建物はとても古いのですが、手術台とランプだけは異様に綺麗で新しく、ピカピカとしていたのを覚えています。

手術室の中で再び生年月日と名前を確認され、麻酔医に挨拶をされ、点滴に麻酔を入れられて、その直後に意識がなくなりました。

 

意識が戻ったのはHCUに連れ込まれた頃。
文字通り時間が飛んだような感覚でした。

身体中に管が繋がれていて、点滴の他に、首の後ろにドレーン、尿管カテーテル。足にはポンプのついたマッサージ機。あとは手動で点滴から痛み止めを入れることができる機械のボタンが手渡されました。

主治医と妻と妻の家族が横に来て、手術が終わったと聞きました。手が動くかの確認をされ、共に去って行ったのを、心細く見送ったのを覚えています。その後は、朝まであまり寝られず、痛いと感じたらボタンを押して、を繰り返していました。

 

(5)手術の説明
全身麻酔で寝た後の流れを簡単に。
もちろん聞いた話ですが。

酸素の管を喉に入れられる。
尿道に管を入れられる。
ベッドから持ち上げられうつ伏せになる椅子に座らされる。
頭と手足に電極を付けられ、大事な神経が切れていないか、
手術しながら確認をできるようにされる。
首の後ろを20センチほど縦に斬る。
筋肉と神経を左右に寄せて、首の骨をドリルで削る。
穴があいたら、脳と脊髄を包んでいる、硬膜を斬る。
その穴から腫瘍の周りについている他の肉や神経を除けながら、
腫瘍を切り刻みつつ少しずつ吸い出していく。
腫瘍を取り終えたら、硬膜をフィブリン糊なる血液製剤で閉じる。
ドレーンを挿管する。
首の表面を皮膚接合用テープで閉じる。
手術時間は概ね5時間程度だそうです。

顕微鏡と耳かきの小さいのでホジホジすると聞きました。
この時代に生まれて良かったと心から思いました。

 

(6)術後
最初の4日間は文字通り頭を枕から一切動かしてはいけませんでした。
これは、前述硬膜を切った際に、脳と脊髄をの周りを囲っている髄液が流れ出てしまっていて、この周りを保護するものがないため、起き上がると脳や周りにダメージを与えてしまうためだそうです。

髄液は身体の中の水分から少しずつ作られるそうで、できる限り水を摂るように指示され、頭を枕につけたままストローでひたすら飲み続けました。1日毎に30度ずつベッドに角度をつけられるようになりますので頭をつけたままとはいえ、色々とできるようにはなっていきます。

ただ、困ったのは食事です。先に書いた通り、消化器には全く問題がないので、常食が出てくるのです。しかしこちらは枕から頭を動かせませんので、特に最初の2日間(ベッドの角度が0度〜30度の間)は、非常に苦労しました。

完全に仰向けの状態で普段食べてるご飯が食べられるか、ちょっと想像してみてください。結構ゲーム的な頭の使い方をしました。大きいスプーンは便利だなぁ、介護はこれだな、なんて思いながら試行錯誤をしたのを覚えてます。

術後5日目からはベッドから頭を外して良くなりましたが、やはり眩暈などするので、少し起こしては横になるの繰り返しでした。このくらいまでは、ほぼずっと寝てましたね。確かこの日にドレーンを抜いてもらった筈です。ただ抜かれて大きな絆創膏を貼られただけで、傷口深いのにそんなんで良いのか?と思いましたが、良いらしいです。不思議。

同6日目には立つ練習。たった少しの間寝たきりをしていただけで、こんなにも立てなくなるものかと驚きました。その日の午後には歩行器で歩く練習。30m歩くのにも四苦八苦しつつ、赤ん坊に戻った気分に。しかしこれでトイレに自分で行けるようになったので、尿管カテーテルが外れました。カテーテルには結局最後まで慣れることがなく、とても不快でした。二度としたくないものです…。

同7日目からは歩行器なしでの歩行訓練とリハビリが開始。病院の方針が自分で歩いて退院する事、ということらしく、最初はゆっくり歩くだけからスタートして、数日かけて階段の上り下りやエアロバイクなど、どんどん運動量を増やされて、驚きながらも機能が少しずつ戻っていくことに何だか感動したりしたものです。

同11日目にやっとシャワーの許可が出て、久しぶりに身体を流せました。人間シャワー浴びなきゃダメですね。僕ら世代に通じる言い回しで言うなら、お風呂は命の洗濯ですよ。この日やっと生きてる心地がした気がします。この日くらいから、傷口を止めていたテープが剥がれてきて、綺麗になりました。縫っていないのでこれで抜糸が終わったのと同じことと言うことでした。

同14日目に退院。翌日から熱が出て、髄膜炎の疑いということで2日おきに通院して血液検査をしながら様子見…なんてこともありつつ、自宅療養を1か月ほど貰いまして、1か月検診でOKを貰い、職場復帰となりました。

 

■最後に
2か月ほど会社を留守にしましたが、ゆっくり休ませてくれた会社に感謝を。
また発覚から復帰まで、必死に支えてくれた妻に、心から感謝を。

 

長々書きましたが。ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。
またこの駄文が、私が助かったように、誰かの助けになりますよう、祈っております。

 

■続き

脊髄腫瘍 顛末記 2 術前に参考にしたwebサイトについて - ちぐさのひとりごち

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